人間が何を言ってもエゴイズムか偽善にしかならないのではないかという疑念がある

私は大変に浅はかな人間であると思って生きてきた。大した考えもなく生きてきたし、政治も宗教も善悪も倫理も、何もわかっていない。
ただ、わかることは私はとても自分勝手で、わがままで、人のためを思って生きていくことなどできないということだ。そして、同世代の人間なんてみんな似たようなものだと思っているし、私以上に何も考えずに生きているのだと思う。だから、SNSごときで政治だとか宗教だとかについて語ってしまえる若造なんていうのは所詮世間知らずの蛙なのだと思っている。たぶん、本当に賢い人間というのは不特定多数の人間が見られるところで不用意に発言をしたりしないのだろうし、結局不特定多数の人間が見られるところでこうやって思考を垂れ流しにしているのは賢くないやり方なのだろう。
世間のことも、自分のことも、相手のこともわかっていない人間が、知ったように話すのが、それが世の中なのでしょう。

負の連鎖を断ち切る薬、あるいはフィクション

いつ東京でテロが起こるかもわからないのに、街はやれイルミネーションだクリスマスだと浮かれていて、それでも私は浮かれる気持ちになれず、ひとりでゆっくりする時間が欲しいと思ってしまう。大学の倫理の講義ではやはり教授がテロリズムについて解説していて、中学生のときに覚えた「マスターキーはない」という決め台詞を心の中でつぶやいた。悪の親玉を根絶やしにすれば世界が平和になるはずだなんて本気で思っているのはイルミネーションの中で抱き合っているカップルだけでいい。寧ろ彼らには世界は平和だと錯覚したままでいて欲しいとさえ思う。
日本は平和な国であるという幻想は憲法9条なんか知らないような人間ですら抱いているものであるのかもしれないが、震災をはじめとする災害に埋もれがちであるものの、やはり日本にもテロや無差別殺人というものは存在しているのである。それは決して他人事ではなく、いつ自分が当事者となるかもわからない。安保法案のことなんてみんな忘れてしまったのかもしれないが、「なんだかんだ言っても戦争しないっしょw」と発言してしまう人間の浅はかさが眩しい。本当に戦争が起こらない限り、日本において戦争というものが現実味を持って語られることはないのだろう。先の大戦だって、今や物語のように思われている節があるほどである。国内国外問わず、テロ事件、空爆、無差別殺戮のニュースを聞いても、どこか別の世界の話として受け流してしまえる。フィクションだから、我々の日常には関わらないから、娯楽コンテンツとして消費され、忘れ去られる。日本人の楽天的なその日暮らしの国民性があるからこそ、私は明日も呑気に学校やバイトへ向かえるのであろう。

マンボウは向かいから来る魚とぶつかるかもしれないというストレスだけで死ぬんだよ、という話を聞いた

ずっとストレス耐性がないと思っていた。少しのストレスだけで落ち込んでしまうと思っていた。
お前はストレス耐性があるから社会に出てもそれなりにやっていける、ストレスをストレスと気づかないだろうと言われた。確かにあまりストレスをストレスと気づかずに溜め込んでしまっているかもしれない。少しのことでイライラしても、次の日には何にイライラしていたのか忘れてしまうかもしれない。
社会の歯車としては優秀かもしれないが、たぶん人間らしさとかいうものはないのだろう。抜け殻になって、ある日ふっと消えてしまうような気がする。
内定はゴールではない。

ぼくの手をとる母親が

集中特訓を断って、他の人より少し長めの休暇をもらった。10日間お休みがあるのに、その6日が過ぎてしまった。次のタームの予習とアイドルの動画視聴に若い時間を費やしてしまう。
髪の毛を切るか? パーマをかけるか?
有意義な夏の過ごし方なんてそれくらいしか思い浮かばなかった。どちらもやっていない。

夏と言ったらコミケらしい。ちなみに冬と言ってもコミケらしい。
行ったことがないが、別に行く用がないので行ったところで冷やかしになってしまうだろう。コミケでアクセサリーなんかを売っていたりもするらしいが、最近はどうなのだろうか。

少し前よりも、まとまった文章を書けるようになってきた。心の余裕が出てきたのか。寧ろ余裕はなくなってきているようにも思う。どうでもいいが、「寧ろ」の「ねんごろ」感はすごい。「ねんごろ」の「ンゴロンゴロ」感もなかなか素晴らしい。

本棚やiTunesのプレイリストの統一感のなさ。私は多分にミーハーなのだと思う。たぶん基本は無趣味なのだが、一度ハマったら割とずっと好きでいられる。それが随所に見られるから、浅はかな人間だと思う。考えも、趣味も、生き方も、とても浅はかな人間だ。
「君にはとどのつまりポリチーというものがないのだよ」といつか誰かに指摘されるのが怖くて逃げ惑っているだけの人生だった。

最近建築というか建物に関心があるのだけど、たぶんこれもかじって満足してしまうから何となくでやっていこうと思う。

日記が書けない

私もたいがい人格破綻者だけれども、他の人格破綻者に悩まされることが多すぎる
他人からの評価だとか他人への評価だとか考え始めたらキリがないでしょ、社会のはそんなので溢れているんだけども
まとまった日記が書けないのは私が人格破綻者だからだろうか
あと少しで私は二十歳になって、人になるわけなんだけど、やれ社会の成員だとか責任ある一つの人格だとか、そんな目で見られるわけで、私は3歳のときのままの私であって、基本筋は何も変わってないんです、って大声で叫んだところで世界は変わるかな、なんて
世界を変える方法はただ一つで、中央線に飛び込めばいいんだけど、せいぜい変わったところで迷惑をこうむった人たちのその日の予定とか、飛び込んだ人間の世界地平くらいで、結局一つの世界が消えても地球はくるくると日周運動をやめることはありませ〜んってね、そう思うわけだよ
自分が日本とか世界とかそういう規模で影響を及ぼせるなんてそんな小学生みたいな思い上がり捨てたほうが身のためだよ、そういうの世の中でなんて呼ぶかって知ってる?
とっても忙しくてお前らと遊んでる暇なんてねーんだよふざけんなっていう気持ちが「お前ら全員死ね!」って叫ぶ夢に表れてしまったかな、ドワハハ
今日の夢はアイドルグループの1番端っこで裸で踊らされる夢と、お前ら全員死ね!って叫んでも誰にも聞いてもらえない夢だったよ、おやすみ

世界の果て、そこは六角形の出口

こんにちは。
こんなさいはての、しかもTwitterすらも休止していたような人間のブログなど今更見ている人なんているのでしょうか。

ひとに、あんたは自分に甘ったれていて社会的責任を取る能力もない、と非難されて、まあ他人によくそこまで言うなあ、と思う夢を見たと言いたいところだけど実際の話。
今日も現実はつらい。月の世界に逃避していると過ぎた時間が逃避の終わりを告げてしまう。
進捗ダメです。
ふりだしに戻ってしまった。

人生やめろ

少しずつ夢と現の境が分からなくなってくる。あれはやったかな、なんかいいことあったけどあれは夢だったかな…

恋人ができるとかそういう幸せ系の夢を見過ぎたせいで現実とのあまりの差に苦しくなる。

幸せ(coming soon!!)