負の連鎖を断ち切る薬、あるいはフィクション

いつ東京でテロが起こるかもわからないのに、街はやれイルミネーションだクリスマスだと浮かれていて、それでも私は浮かれる気持ちになれず、ひとりでゆっくりする時間が欲しいと思ってしまう。大学の倫理の講義ではやはり教授がテロリズムについて解説していて、中学生のときに覚えた「マスターキーはない」という決め台詞を心の中でつぶやいた。悪の親玉を根絶やしにすれば世界が平和になるはずだなんて本気で思っているのはイルミネーションの中で抱き合っているカップルだけでいい。寧ろ彼らには世界は平和だと錯覚したままでいて欲しいとさえ思う。
日本は平和な国であるという幻想は憲法9条なんか知らないような人間ですら抱いているものであるのかもしれないが、震災をはじめとする災害に埋もれがちであるものの、やはり日本にもテロや無差別殺人というものは存在しているのである。それは決して他人事ではなく、いつ自分が当事者となるかもわからない。安保法案のことなんてみんな忘れてしまったのかもしれないが、「なんだかんだ言っても戦争しないっしょw」と発言してしまう人間の浅はかさが眩しい。本当に戦争が起こらない限り、日本において戦争というものが現実味を持って語られることはないのだろう。先の大戦だって、今や物語のように思われている節があるほどである。国内国外問わず、テロ事件、空爆、無差別殺戮のニュースを聞いても、どこか別の世界の話として受け流してしまえる。フィクションだから、我々の日常には関わらないから、娯楽コンテンツとして消費され、忘れ去られる。日本人の楽天的なその日暮らしの国民性があるからこそ、私は明日も呑気に学校やバイトへ向かえるのであろう。