社会的な生活を営む権利は憲法では保証されていない

3月に入ってから、やれ就活だの説明会だのESだのと騒がしい。かく言う私も就職活動をしなければならない年になったのだ。

考えてみればおかしな話である。
日本はどうも、経団連がお決めになったある一定の時期に集団就職をしなければ、一生正規雇用者にはなれないというのが伝統的にあるようだ。厳密に言えばそうでもないのだろうが、我々のような無能にはそれしか正規雇用者になる機会はない。これを逃せば一生低所得者である。

一昔前は、女は結婚あるいは出産すれば退社して家庭に入り、子供が大きくなったらパートで働きに出るというのが一般的であった。寧ろ専業主婦だって少なくない。
しかし政府が一億総活躍社会なぞというものを打ち出してくれたお陰か否か、いや寧ろ低迷した日本経済のお陰か、女性の活躍推進が叫ばれている。それ自体はまあいい。フェミニストには言わせておけばいいし、事実、働きたくても働けない女性や、なりたくても管理職になれない女性がいることは問題視されて然るべきであろう。別に、夫婦のうち男性のほうが家庭に入って家事をしたって、共働きで互いにバリバリ働いたって知ったことではない。
しかし、働きたくない女性はどうか。いかんせん、働きたくないのである。女性の社会進出なぞ余計なお世話であるとしか言いようがない。寧ろ家庭だって立派な社会であり、子供を健やかに育てることも素晴らしいほどに社会貢献であるではないか。

何が言いたいかと言えば、結局のところ、就活はしないといけないことは分かっているが、企業に入ってもすぐに結婚して寿退社♡したい、ということに過ぎない。恋人よ、頼む。